トクベツ
今までのと軽くノリが違います。注意。

俺は『古泉一樹』が嫌いだ。
 人好きのする笑顔もいかにもイイコな態度も誰に対しても平等な接し方も。
 何もかもにイライラする。俺を酷く残酷な気分にする。
 ムカつく、というのとも違う。もっとドロドロした感覚。もっと重く、昏く、濁った情念。
 熱くはない。むしろ北極の氷よりも冷えきっているだろう想い。
俺は『古泉一樹』が嫌いだ。
 あの笑顔が気に入らない。優しげな笑みを無理矢理引きはがしてやったらさぞ爽快だろう。考えるだけで気分がいい。

俺は『古泉一樹』が嫌いだ。


 この強い思いは俺だけのものではなかったらしい。
 …ただし、対局の意味で。

「好きです、貴方が」

 いつもの俺たちのたまり場であるSOS団部室で、『古泉一樹』は確かにそう言った。

 一体何の冗談だ。お前の冗談は笑えないといつも言っているだろう。
 冗談じゃないならその方がお笑いだがな。

「そこまで言われると、流石にショックですよ」

 全然そうと思っているようには見えない、いつものスマイル。まるで能面のようなそれ。俺をイライラさせるそれ。
 残酷な気分にさせる、それ。


「俺は『古泉一樹』が嫌いだ」


 その時の表情は、何と例えるべきだろう。
 能面のようなスマイルは能面のままだった。
 ただ、目だけが違う。

 オレの言葉を聞いて溜息と共に一度閉ざされた瞳は、もう一度開いた瞬間に何か…何かとしか形容の仕様がない何かを溢れさせていた。

 ギラギラとそれをたぎらせた目が俺を捕らえて離さない。

 口元にはいつもの笑みを浮かべているのに、そこだけ能面がはがれ落ちたかのように生気に漲っている。
 ぱっと見はいつものスマイル。
 ただただ目だけが強い光を放つ。それが怒りなのか喜びなのかも判別できないが、少なくとも悲しみでないことだけは何故か確信できた。

 恐怖にも似た何かが背筋を走り抜けるのを感じた。
 目を反らすことも、逃げることも…いや、指先一つ動かすことも許さない強い視線。
 ごくりといびつな音が、やけに静かな部室に響いた。

「知ってますよ」

 穏やかな笑みを含んだ、穏やかな声音。誰の声なのか迷うほど、俺に刺さる視線と温度差のありすぎるそれは、柔らかく弧を描いたままの唇から発されていた。

「貴方が僕に嫌悪を抱いていること、しかし同時に無視できないほど僕を意識していること。憎悪にも似た感情を持っているくせに、僕を拒絶できないでいることなんて、最初から」

 奴はいつもの定位置からゆっくりと腰を上げた。
 小さな子供に何かを諭して聞かせるような優しい口調で旋律のように言葉を紡ぎながら俺の傍らに立つ。
「知ってるんですよ」

 芝居がかったいつもの動きではなく、どこか、野生の獣めいた動きで俺の肩を捕えた。手のひらでさするようにゆっくりと首から頬へと滑った指は、逆らうことを許さない力で俺を上向かせる。
 征服者のような。
 肉食獣のような。
 強い瞳が俺を見下ろす。

 顔が近づいてきて、息をすることさえ忘れて怯えていた――魅入っていた――俺の唇に、熱が触れた。

「僕はそれでも構わないんですよ。貴方が好きなんです。その貴方から強い感情を向けられているのだと思うとゾクゾクする。僕は貴方の特別なのだと思うだけで幸せなんです」

 たとえそれが、マイナスの意味であっても。

 一度唇を離してそう囁いた後、古泉は俺の唇に強く歯を立てた。俺のうめき声を聞いて楽しげに笑い声を零してからゆっくりと離れていく。

「忘れないでくださいね。僕は、貴方が好きです」

 古泉は、俺の目の前で、綺麗に綺麗に微笑んで見せた。







 一人残された部室の中は、もううっすらと暗くなり始めていた。古泉が帰ってしまってからまだそんなに経ってはいないだろうけれど。

 あんなのは反則だ。そんな中でもう何度目かわからない呟きを零す。
 あんなのは反則だ。あんな古泉は知らない。
 あんなのは反則だ。

 ちりちりと鋭い痛みを訴える唇に舌を這わせる。錆びた鉄の味がした。ぴちゃりと立った水音が生々しい。

 触れるほどに痛む傷を舌先で辿りながら、あの強い目を脳裏に呼び起こす。

『貴方が好きです』

 穏やかな声音。優しい笑みと対照的な強い瞳。
 与えられた熱と鋭い痛み。

「…マジか…」

 それらを思い出しながら、俺は欲情していた。



 『トクベツ』と言ったあいつの声が、やけに耳に残っていた。

Mッ気キョン君とSのいっちゃん。
こんなのもありかな、と。