趣味のＤＴＭが高じて現在ボーカロイドを5人抱える、独身貴族と言えば聞こえはいいものの、養うべき家族もいないシゴトが忙しくて友達連中と遊びに行くこともできない寂しい独り者なわけだ。
…とは言うものの、ボーカロイドたちは可愛いし、家にいる間パソコンにかじりついていたところで文句は言わないし、何より閉じこもっていてもきっちり他人(といえば語弊があるが)と会話もできるんだしでこれはこれで結構幸せかもしれないと考えていたりする。ダメ人間街道をひたすら何者をも省みずに全力全霊で猛驀進中な気もするが、幸せなものは幸せなんだから仕方ない。
だが。
最近少々仕事が忙しい。
主任という肩書きを貰い、その分シゴトも増え、残業も増え、初めて胃痛という奴を経験したりもしている。まだ若い筈なのにこれはおかしくないかと思いもするが、この年で会社に逆らえる根性はなく、かと言って上手い具合に立ち回って部下にシゴトを押し付けることもできず、趣味のＤＴＭもボーカロイドたちの歌を聞く事もほとんどままならないまま状況を甘受しているのが現状だ。
そんな俺の最近の楽しみは昼飯だ。
寂しい奴と笑ったそこのお前、甘いぞ。
俺の昼飯は、うちにいるボーカロイドの年長三人が一人一個握ってくれたおにぎりだからな。楽しみにする俺の気持ちもわかろうというものだろう？
昼休みの事務所内、自分のデスクの上に置いた巾着を見て思わずにやにや笑いが浮かぶ俺を誰がバカにできようか。いや、できまい。
傍らのコーヒーカップに入れてあるインスタント味噌汁をこぼさないように寄せ、さて、と巾着に手を…
「主任〜、お電話です」
…。
電話の主は得意先の部長で、昼休みにすまんねから始まり、取引についての簡単な確認に続き、息子の高校受験に広がり、この間した接待で使った店の話に及んだ後、うちの部長の好きな酒の話と自分の酒の趣味についてを経て、ようやく収束した。…昼休みを丸々使って。
コーヒーカップの味噌汁だけは電話の合間に飲み干したものの、ＫＡＩＴＯ、ＭＥＩＫＯ、ミクのおにぎりはまだ巾着に納まったまま、俺の胃袋を呼んでいる。…が、昼休みが終わってしまったため、お目にかかることさえできないまま机の中へと帰って行った。
…仕事中の俺の唯一の楽しみが…。
それでもめげずに仕事の合間を見て食おうと思っていたのだが、そういう日に限って邪魔が入るのはもはや世界の真理と言っても過言ではあるまい。
別の取引先からの電話、部下の発注ミスの後始末、上司から回される面倒な書類作成、他部署との連携プロジェクト……腹減った……そして極め付けは…
明日の会議用の資料作成＝残業
ああ。今日も帰りは午前様だろうか…。
ばたばたと事務所内を駆けずり回って資料を探し、各部署ごとの文書を作成し、書類を確認しては構成ミスや記載漏れを見つけて訂正し――合間に、用があるという部下を帰し――気がつけば、空腹を抱えたまま時計は夜の11時を指していた。
明日の会議の書類は何とか完成。この時間まで帰らずに残ってくれていた部下もそれを見届けるとダッシュで帰って行った。
完成した書類に認印を押し、がちがちに固まってしまった肩を解してからもう感覚のなくなってしまった腹が何度目かの催促を促すのを聞いて、すっかり忘れていた机の中の巾着を机上に戻した。
ああ、心なしか巾着も嬉しそうに見える…。腹が減りすぎて幻覚でも見てるのか俺…。
先に帰った部下が帰りがけに入れて行ってくれた、すっかり冷めてしまったお茶を啜ってから包みを広げる。
おにぎり三つと小さ目のタッパーにおかず。…おかずはＫＡＩＴＯ作だ。
それから…四つに畳まれた小さなメモ。
それぞれ個性的な形をした３つのおにぎりの中の一番小さくて形の崩れかけたそれを掴みながらメモを開くと…。
5人の文字がそれぞれ人柄を表すような文体で小さな紙片に収まっていた。
…多分、これを握ったのはミクだな。具がみそで焼いた長ネギだ。多分ＫＡＩＴＯが焼いてあげたんだろうな。…ちょっと表面に塩付けすぎててじゃりじゃりする。
ＭＥＩＫＯのは明太子か。ミクのおにぎり食った後だと塩分は程よい感じだけど、強く握りすぎだ。米の密度が凄い。
卵焼きはＫＡＩＴＯかな。おにぎりの具にしては卵が甘い。
タッパーの中身はから揚げ(焦げ気味)とウィンナー(焦げ気味)と沢庵(3枚全部繋がってた)と白菜のおひたし(水切りが甘くて他のおかずも全部湿ってた)。
…あああああ。くそ。美味い。
そんで足りない。
早く帰ろう。
ねぎとアイスとワンカップとミカンとバナナ買って帰ろう。
出来上がったばかりの書類を部長の机の上に置いて、俺は事務所から駆け出した。