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※ボーカロイド=歌うの専門のアンドロイドをご想像ください。
※マスターとKAITOは同居。マスターの仕事は不明(笑)
※マスターのビジュアル、性格等はご想像くださいw
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 まっさらな俺の記憶回路に初めて刻まれたのは、マスターの優しい笑顔だった。

初めましてKAITO。

 次にその柔らかな声。
 そして、俺は自分が「KAITO」だということと、この人を自分が壊れるまで…壊れてからも愛するのだと知った。


 マスターは優しかった。
 歌うこと以外右も左もわからないような俺を友達のように、家族のように扱ってくれた。
 色々なことも教えてくれた。
 俺の世界はマスターから拓かれて、俺の世界の中心はマスターで、俺にとってマスターが世界だった。
 それで満足だった。
 それで幸せだった。
 ボーカロイドだから、そういう風にプログラムされているから。
 マスターは時々そんな風に寂しそうに哀しそうに笑ったけれど、それだけじゃないと俺は思っていた。
 だって、マスターが大好きだった。
 マスターのためにマスターの作った歌、好きな歌、楽しい歌や元気になれる歌を歌えるのが嬉しくて、覚えるのが楽しくて、毎日が輝いていた。
 明日はどんな歌を教えてくれるだろう。明後日はどんな歌を覚えられるだろう。更にその明日は…
 壊れるまで、こんな日が続くのだと思っていた。
 でも、それは違った。

好きだよ。KAITO

 嬉しかった。
 嬉しくて、嬉しくて嬉しくて嬉しくて、俺は壊れるなら今がいいと心から思った。
 マスターは俺を抱きしめて、キスをくれた。俺もキスを返した。
 恋人だと言ってくれた。
 歌う以外に、俺にもできることがあると教えてくれた。

 それからも、俺はいろんなことを覚えた。
 料理も覚えたし、一人で買い物をすることも覚えた。インターネットで調べ物もできるようになった。
 マスターと二人で遊びにでかけたりもした。
 もう人間と変わらないとマスターが言ってくれた。


 1年が過ぎて、俺が「旧型」と呼ばれるようになっても、マスターは変わらず俺を好きだと言ってくれた。
 俺は本当に、とても、幸せだった。

* * *

 その日の朝は気持ちよく晴れていて、冬の風はその分冷たかった。
 朝ご飯を作ってから、朝に弱いマスターをどうにか起こした。寝ぼけながらおはようとキスをくれるマスターにキスを返して、早く起きないと遅刻するよと布団を剥ぎ取った。
 仕事に行く支度をしているマスターを手伝ってから朝食を食べさせて、行って来ますと笑ってまたキスをくれるマスターにコートをかけながら、俺も笑っていつも通り行ってらっしゃいと送り出した。

 朝ごはんを片付けて、洗濯と部屋の掃除をした。
 発声を軽く済ませてから、最近マスターに内緒で覚えようとしている歌の練習をした。
 充電が心許無くなったから少しだけ休んで、また練習をした。
 夕方近くに晩ご飯の買い物をして、帰って来てからまた少し充電した。最近電池の持ちが悪いから、マスターが帰って来たら相談しようと思った。
 時計の針が6時を少し過ぎた頃に目を覚まして、晩ご飯を作った。
 マスター遅いなと思いながら新しい歌をインターネットで調べて時間を潰した。

 普段ならどんなに遅くてももう帰って来ている時間になった頃、マスターのお姉さんが、真っ赤な目をして尋ねて来た。

 * * *

 俺はボーカロイド。
 主人に仕えて歌を歌い、歌で主人の心を慰めるためだけに産まれてきた。
 役目が終われば、主人が飽きれば、刻が経てば、電源を切られて中古品として売りに出されるか、リサイクル品として解体され、新しい製品の部品になるか、捨てられて朽ちるに任せるだけ。
 運がよければまた新しい主人を持つことができるけれど、その時はメモリーをまっさらに戻すから、今までできた色々なこと、それまでに覚えた色々な歌を忘れ去る。
 …前の主人のことも。
 そうして新しいボーカロイドになり、新しい主人に仕える。
 その繰り返し。

 * * *

 お姉さんはマスターが俺を呼んでるからと、それ以上何も言わず俺を部屋から連れ出して、通りに待たせていたタクシーに乗せた。
 何がなにやらわからず、一体どうしたのかと問いかけると、彼女は大粒の涙をぼろぼろ零しだし、けれど俺に何かを説明してくれるそぶりは見せなかった。
 人間が泣くのは、哀しいときと嬉しいとき、それから辛い時だとマスターは教えてくれた。
 一体どれなのかと問いかけても、彼女は首を振り、両手で顔を覆うきりだった。
 マスターがいないのに家を開けてしまった。事情を聞きだすことを諦めた俺はそんなことを考えながらタクシーに揺られていた。
 マスターが呼んでいるというのが本当なら問題はないかもしれないけれど、マスター本人に呼ばれたわけじゃないから…もし何かの間違いだったとき、帰ってきたマスターが俺がいないのを見たら心配するかもしれない。それは嫌だなと、そう思った。
 お姉さんはその間もずっと泣き続けていた。
 
 連れて来られたのは病院だった。
 人間を修理するところだとマスターが教えてくれた場所だ。
 ここに来たのは初めてだった。マスターは病院が嫌いだと言ってここに来ようとはしなかったし、マスターが行かないところに俺が行く必要も用もないから。
 お姉さんは手を貸そうとする俺に首を振り、少しだけよろけながら自動ドアをくぐって行った。本当は家に帰りたかったけれど帰り道がわからなくて、仕方ないから俺も後に続いた。
 同じ形の扉が並ぶ廊下を抜けて一番奥の部屋。お姉さんに促されて入った病室のベッドに、よく見知った人が眠っていた。
 いつもより白い顔色で、口許をチューブのついた透明なプラスチックの覆いで覆われたマスター。
 ピ…ッピ…ッと小さな電子音と、女性のすすり泣く声に混じって、かすかなマスターの呼吸音。
 何でマスターはこんなところで眠っているんだろう。何でマスターは機械から伸びた色々な管で繋がれているんだろう。
 でも、マスターがここにいるのなら、俺が家にいないことでマスターに心配をかけるかもしれないというのは杞憂に終わったわけだ。
 俺は少しほっとした。

 * * *

 俺はボーカロイドだから、俺の運命を知っていた。
 だから俺はマスターに俺を捨てる時は何も言わずに電源を切って、そのままメモリーを初期化して欲しいとお願いした。
 マスターが大好きだったから、マスターに捨てられるという事実は知りたくなかった。そのまま消して欲しかった。
 マスターは哀しそうに首を振り、捨てたりはしないと言ってくれた。
 俺かマスターが壊れるまで一緒にいると、そう言ってくれた。
 抱きしめてくれた。
 それだけで十分だった。
 だけど、マスターを疑うわけじゃないけれど、人間には「気が変わる」と言うことがあるのをもう俺は知っていたから、ただお願いだから忘れないでくれともう一度頼んでおいた。
 マスターは返事をしてくれなかったけれど、ちゃんと聞いてくれていたから、それ以上は俺も何も言わないでおいた。

 * * *

 部屋の中にはマスターのご両親もいた。
 二人とも目を真っ赤にしてマスターを見つめていた。
 ベッドの側に近付くと、覆いの内側でマスターが何かを呟いているのが唇の動きでわかった。
 誰にも止められないから俺は更に近づいて、ベッドの傍らに跪き耳を寄せた。
 マスターがずっと呟いているそれは俺の名前だった。
「…マスター、俺はここにいますよ?」
 夢でも見ているんだろうか。そんなに不安そうに名前を呼ばないで欲しくて、体の横に投げ出されていた主人の手を握った。呼び掛けると、マスターの目がうっすらと開いた。開いて俺を見て、かすかに微笑んだ気がした。だから俺も微笑み返した。
 その直後。
 ゆっくりと規則的に響いていた電子音が止まった。代わりにぴーーっと長く長く鳴り響き始めた。うるさいなと、そう思った。
 マスターが眠っているのに、それを妨げるような音がわずらわしい。
 それは傍らの機械から響いていたけれど、俺には止め方がわからなかった。
 壊したら怒られるだろうか。マスターの手を握ったまま機械を見上げている俺を他所に、泣き続けていたお姉さんが慌てたようにマスターの横に投げ出されていた何かのボタンを押した。びーっと、今度は低い音が響く。
 ばたばたと慌しい足音。マスターのお父さんに腕を引かれて、握っていた手を思わず離してしまった。
 お父さんもお母さんもお姉さんも真っ青な顔色でマスターを見つめている中、部屋に入ってきた足音の主達は主人の腕を取り、機械を見てうるさくわめいている。
 マスターが眠っているのにそんなに騒がないでくれ。俺がそう言っても誰も耳を貸そうとはしなかった。
 俺の腕を握ったままのお父さんの手にぎゅっと力がこもった。

 * * *

 愛してるよ。
 俺を抱きしめて眠る前、マスターは決まってそう囁き、俺の髪の毛に口付けをくれた。
 本当はこんな風にベッドで休む必要なんてないのだけれど、そうされるのが好きだったから、俺はいつも大人しくマスターの腕の中に収まっていた。
 本当は俺も好きだと伝えたかった。俺もマスターを愛しているとちゃんと聞いて欲しかった。でも、俺がその言葉を口にするたび、マスターは哀しそうな辛そうな複雑な表情を浮かべていたから、いつもただ黙ってされるがままになるだけだった。

だってお前はボーカロイドだから、だからそう言ってくれるだけなんだろう?

 違うのにと、そう思っていた。

 * * *

 初めて入るマスターの実家の小さな和室で、マスターのお姉さんが、弟はトラックにはねられたのだと教えてくれた。
 『トラックにはねられる』とはどういうことなのかわからなかったけれど、わからなかったなりに怖いことのような気がして、俺はそれを尋ねられなかった。
 マスターは真っ白な衣に着替えさせられて、顔の上に白い布をかけられ、畳の上に敷いた布団に寝かされていた。なんで布をかけるのか問う俺に、お姉さんもお父さんもお母さんも答えてはくれなかったけれど、外してはいけないと言われてしぶしぶ従った。まだ俺の知らない何かがあるんだろうと思った。
 マスターが苦しかったら嫌だなと思ったけれど。

 病院からここに運ばれる間ずっと側についていたのに、マスターは一度も目を開けてくれなかった。もう名前を呼んでくれさえしなかった。
「…マスター、流石に寝過ぎですよ?起きてください。会社行かなくてよかったんですか?」
 俺がそう声を掛けると、マスターのお姉さんはぼろぼろ泣き出して、弟は死んだのだと言った。
 俺はまた首を傾げた。
 『しんだ』とは何だろう、と。
「マスター、起きてください。『トラックにはねられる』とは何ですか?『しんだ』とは何ですか?教えてくださいマスター」
 何度問い掛けてもマスターは答えてくれなかった。
 何度呼び掛けてもマスターは起きてはくれなかった。
 いつものように寝ぼけ眼でおはようKAITO、とキスをしてくれなかった。
 お姉さんは嗚咽を零しながら口元を抑えて、マスターの肩を揺する俺の手にすがりついてきた。
 貴方のマスターはもう弟じゃないの。貴方のマスターはこれからは私よ。
 …何を言ってるんだろう。
 マスターはここにいる。俺のメモリーはまだ初期化されていない。
 それに…マスターは俺を捨てないと、壊れるまで傍にいてくれると言ってくれた。…気が変わったのでなければ…。
「俺の主人はマスターだけです。…マスターが俺に飽きたのなら、俺を初期化するのがマスターの、「俺のマスターとして」の最後の仕事です。マスターはここにいるし、俺はまだ初期化されていない。だから俺のマスターは貴方じゃない」
 考えていたよりもずっと低い声が出てしまった。でも、おかしなことを言うお姉さんが悪い…と、思った。マスターがマスターじゃなくなるなんて……そんな怖い事を言わないで欲しかった。
 だから、否定して欲しくて、俺は更にマスターの肩を強く揺すった。
 お姉さんは、泣きながら部屋を出て行ってしまった。
「マスター…。マスター…俺を捨てるなら、俺がわからないように、俺が気づけないように、電源を切って初期化してくださいって、お願いしたじゃないですか…」
 一向に起きてくれないマスターの手を握って、そう呟いても、やっぱり主人は返事をしてくれなかった。

 …そのうちに、マスターのお父さんが来て、明日葬儀をし、マスターを火葬する…焼いてしまうのだと言った。


 その日の夜の間に、俺はマスターを抱きかかえて、誰にも気づかれないようにそっとその家から逃げ出した。


 * * * 

「マスター…マスター」
 冬の寒い夜だった。
 刺すような冷気も俺は平気だけど、マスターは寒いかもしれない。真っ白な衣は薄手だし、はだしのままだし、マスターは寒がりだったし。
 寂しい道をマスターを抱えて走りながら、目に付いた小さな小屋に潜り込んだ。…不法侵入にあたるかもしれないけどこの際贅沢を言ってもいられない。
 今は使われていないらしい木造の、半分朽ちた元物置らしい小屋の中で、物陰に隠れてマスターを抱えたまま腰を下ろし、俺は自分のしていたマフラーを主人にかけてあげた。
「マスター…『トラックにはねられる』とは何ですか?『しんだ』とは何ですか?俺を廃棄するんですか?何故マスターが焼かれなければならないんですか?」
 マフラー一本じゃ余り変わらないのかもしれない。マスターの体は冷え切っていて、暖まる気配もなかった。
 あたりを見回しても大きな腐ったダンボールがいくつか積み上げられているだけで暖を取れそうなものは何もなかった。
 だから片手でマスターを抱えながら、逆の手でマスターの体を何度も擦る。俺の体温の低い手の平でも、少しはマスターを温めて上げられるだろう。
「マスター…。起きてください。教えてくださいマスター…」
 何度も何度も呼び掛けて、時々体を揺すってみた。…返事も体温も、俺の望み通りにはならなかった。
 ならないまま、俺の充電だけが消耗してしまって、俺ももう余り長いこと起動していられなくなってしまった。そういえば、昨日の夕方から充電していない。
「マスター、ごめんなさい。俺もう起動したままマスターが目を覚ますのを待ってられないみたいです。でも、傍にいますからマスターが起きたら充電してください。…いらないなら、そのまま初期化してください」
 だから、マスターを抱いたまま関節をロックして、腐った小屋の隙間から入って来る冷たい風から少しでもマスターを庇えるように主人の上に覆いかぶさって、病院に行く前…いつもの日常の中で練習した歌を口ずさんだ。


マスター…俺、練習したこの歌を、早く貴方に聞いてもらいたいんです。
廃棄されるかもしれないって不安を、マスターにバカだなって笑われて、消してしまいたいんです。

だから、早く起きてください、マスター。


 歌を口ずさみながら、マスターの唇にキスを落として、俺は目を閉じた。
 目を覚ましたマスターが、いつか俺を充電して、おはようと笑ってくれる日を夢見て。

「大好きです。マスター」

 程なく、俺の意識は闇に沈んだ。


KAITOが練習していた曲は尾○豊の『I LOVE YOU』をイメージ。…べたべたでごめんなs…
もっとぴったりな曲があったら教えてください。

妄想して思わず泣いたので書いてみたけど力及ばず… orz
精進します。